2012年6月2日土曜日



はじめに
現在の医療は効率化や経済性、質の向上など様々な観点から、看護の標準化、IT化が進められている。看護業務の内容も様変わりしている部分も多くみられるが、時代が変わり世の中の多様な情勢が変遷しても、看護の本質は普遍的であると考える。
看護の本質とは「看護」として成り立たせている独自の性質である。ジョイス・トラベルビーは看護を人間関係の立場から捉え、この関係が成立した上で、治療的側面を担う実践活動が行えると述べている。
私たちは自らの事例を振り返り、この理論と照らし合わせて考えることで、人間関係の確立のプロセス、看護の本質について多くのことを学び、再認識することができたのでここに報告する。

ジョイス・トラベルビーの経歴
1926年  誕生
1946年  ニューオリンズにある慈善病院の看護学校卒業
1952年  看護学士号を目指す一方、ニューオリンズにあるデポー病院の付属学校で
       精神科看護を教える
      (慈善病院看護学校、ルイジアナ州立大学、ニューヨーク大学、ミシシッピ大学でも精神科看護を教える)
1956年  ルイジアナ州立大学で看護学士号取得
1959年  エール大学で看護学修士号取得
1963年  看護雑誌に記事を投稿し始める
1966年  「看護の人間関係的側面」発行
1969年  「精神科看護における介入」発行
1970年  ニューオリンズのホテルデュー看護学校でプロジェクトディレクターの称号を得る
1971年  「看護の人間関係的側面」改訂版 発行
1973年  フロリダで博士課 程の学業中、不慮の死を迎える

看護の原点
トラベルビーの理論は、彼女自身の看護教育での経験と、カソリック慈善施設での看護実践において、彼女が患者に対する看護師の役割の在り方に興味を抱いたことに始まる。トラベルビー自身の経験から生まれた理論は、エール大学で卒業研究した際の指導者、アイダ・ジーン・オーランドの影響を受け発展していった。オーランドは、「看護師は患者の苦痛を未然に防いだり、軽減できるようにする責任がある。」と述べており、また看護師と患者はお互いに影響しあう関係にあると言っている。 オーランドとトラベルビーの理論の類似性は看護師と患者はお互いに影響しあうという点である。
トラベルビーはこの考えから「個人や家族、地域社会から、病気や痛みの体験を予� �し、
病気や痛みの体験においては、その体験に立ち向かえるように個人や家族を援助することである。」ということを看護の目的として示し、その為には「対人関係のプロセスが重要である。」と主張している。又、トラベルビーは、アウシュビッツやナチの強制収容所からの生還者ビクター・フランクルをはじめ、ロロ・メイやK・ヤスパースの人間の自由性と責任を強調し、人生を「意味」と「価値」をもつことによって満たされるもの、と説く実存主義思想の影響を受けている。とくにビクター・フランクルが提唱した「人々が疾病や苦難の中に意味を見いだせるように援助する」というロゴセラピーの概念はトラベルビーの人間や患者、病気のとらえ方に始まり、理論全体を通して感じ取ることができる。こうしてみると、トラ ベルビーの看護理論は、トラベルビー自身の看護経験から生じた疑問に、看護師―患者関係論や実在主義思想が深く結びついて発展したものと言える。
(ロゴセラピーとは人間の"精神または人間存在の意味と訳され、ビクター・フランクルが精神的に苦しんでいる人々のために、人生の意味を重視して提唱した治療法)

メタパラダイムの4概念
人 間
1.人間は、独自的でとりかえのきかない個体、つまり過去に生きていた人々、あるいはこれから生きるであろう人々と似てはいるが、同じではありえないこの世界における一度だけの存在者。
2.人間は、成長、発展、変化など連続したプロセスに存在する独自的で代わりのない個人。
3.看護師も患者もひとりの人間である。
4.患者という用語は、ひとつ� �ステレオタイプである。実際には、患者は存在しない。
 必要な、他人からのケア・サービス・援助をもとめている個人。
5.看護師という用語は、独自な人間としてではなく、ひとつのカテゴリーとかステレオタイ プと知覚される。看護師はすべての人々の人間条件を、共通にわかちもっている一人の人間。一群の専門家した知識と、病気の予防・健康の回復・病気における意味の発見・最高の健康維持などのために、その知識を活用する能力をもっている。
      *ステレオタイプ:固定的型にはめたものを意味する
健 康
1.主観的および客観的健康基準によって定義した。
2.主観的健康状態は、肉体―感情―精神面の状態の自己評価に応じて個々に一致する
もの
3.客観的健康は、肉体の検査、研究室でのテスト、精神科ディレクターまたは心理カウンセ ラーの評価などにより認知できる病気、機能障害、欠陥などが無いこと。

環 境
1.トラベルビーは学説においては環境を明白には定義していない。
2.彼女は、希望、病気、苦難、苦痛、など、すべての人間が遭遇する人間の状態、人生
経験をきちんと定義して、これらの状態が環境とみなされるとしている。
看 護
1.看護師−患者 対人関係のプロセス。
2.専門的な看護実践者が、個人・家族あるいは地域社会を援助するため。
@病気や苦痛の体験を予防
A病気や苦痛に立ち向かえるように援助
B病気や苦痛の体験の中に意味を見出せるように援助
3.看護の目的は、人間対人間の関係を確立することをとおして達成される。
4.看護は、援助を受ける人のなかに、変化を起こさせうるという目的のために着手されているサービス。

定義・概念のまとめ

看 護
1. 看護の定義(看護の目的)
「看護とは、対人関係のプロセスであり、それによって専門実務看護師は病気や苦難の体験を予防したりあるいはそれに立ち向かうように、そして必要なときにはいつでも、それらの体験のなかに意味をみつけだすように、個人や家族、あるいは地域社会を援助するのである。」1)
@ 看護は常に直接的か間接的に人びとと関係をもっている:対人関係のプロセス
A 看護は、援助を受ける人のなかに、変化を起こさせうるという明白な目的のために着手されているサービスである。
B 看護師のサービスを必要とする個人あるいは家族を援助する。
C 看護師は常に、病気に関心をもち、また健康にも関心を持っている。
D 看護活動は看護師が目的を持ち、進歩した思慮深い方法で、変化を確認し、かつ変化を生じさせうることである。
E 看護の目的は、人間対人間の関係を確立することをとおして達成される。
F 病人に近づく手段を無限に持っている。

人 間
1.人間の定義
「独自的でとりかえのきかない個体、つまり、過去に生きていた人びと、あるいはこれから生きるであろう人びとと、似てはいるが同じではありえない、この世界における一度だけの存在者。」2)
@ 人間は生物有機体である。有限であり、無限な個体である。
A 人間は、たえず選択と葛藤に直面させられている矛盾の創造物である。選択という行為に責任をもち、また、葛藤に立ち向かい、耐えることなのである。
B 人間とは考える有機体である。
C 人間は他人を理解する能力をもっているが、他人を完全に理解することのできない個体である。
D 人間は自己実現をめざす存在であるが、自己の中の孤立、不安などから逃避する存在。
E 人間はいつか自分が死ぬであろう、ということを知っている個体である。
2. 人間の能力
@ 人間はつねに、生成、進化、変化のプロセスのなかにある。現在に生きながらも、過去をおもいおこし、未来を予想する能力は、明らかに人間に独特のものである。
A 人間は、体験を蘇らせる際に歪曲する傾向がある。
B 未来を予想することは、人が現在の困難に耐える事を可能とする動機づけの力となる。
3. 人間の独自性
@ 各人に完全な独自性であり、二人として同一の人間はいない。
A 人間とは類似点より以上に相違点を持っているものである。
4. 人間体験の共通性
@ 人はすべて、その生涯のある時期、病気や痛み(心的、肉体的、精神的悩み)に直面するものであるし、究極的には死に直面するものである。
5. 人間の価値
@ あらゆる人間は価値を有する。
A あらゆる人々は、その人の人間らしさの本性によって価値をもつ。

患 者
1.患者の定義
「患者という用語は、ひとつのステレオタイプ、ひとつのカテゴリーである。実際には、患者は存在しない。」3)
@ 健康上の問題の解決の手助けをしてもらえるような、他人の援助をもとめている。
A 個人が「患者」として知覚されるか、独自な人間として知覚されるかということは、非常に重大事である。
B 個人が「看護師」「患者」の役割を身にまとうと、2人の間には壁ができる。
C 個人をステレオタイプでみることをさけるための唯一の方法として、病人をひとりの独自な人間として知覚することである。
D 「患者」対「看護師」のかかわりに、人間対人間として知覚し関係を結ぶためには、「看護師」の役割を超越することがひつようである。
E ひとりの個人をひとつの病気として知覚することは、その人の人間性を無視することである。
F 実務につき始めの看護師は、各患者の人間らしさを高度に知覚し、それに反応する能力を所有しているが、時がたつにつれ知覚は変わり、カテゴリーへの分類やステレオタイプをもちはじめ、人間を独自な個人としてでなく「すべての患者」の擬人化として知覚する。
G 「患者」として知覚されたときの人間への影響は、脅迫の知覚、脅迫に立ち向かうために、その人が用いる習慣的技術(怒り・悲しみ・抑うつ・無力・無感動・・・)である。

看護師
1.看護師の定義
「看護師は、すべての人々の人間条件を、共通にわかちもっている一人の人間である。」4)
@ 一群の専門化した知識と、病気の予防・健康の回復・病気における意味の発見・最高の健康維持などのために、その知識を活用する能力を持っている。
A 看護活動に対して、法的な責任を背負っている。
B 看護師は他人の傷つきやすさに遭遇しながら、いやおうなく自分自身の傷つきやすさに気づき変化させられる。
C 人間的な傷つきやすさの未解決な危機の帰結は、無関心や超脱をよそおって感情をおこさせる個人や場面から逃避することと、重要性を否定することによって自分の感情を操作することで気づきやすさを和らげている。
D 看護における超越の意味するところは、病める人、苦難の人、臨終にある人の人間らしさを知覚し、それに反応するために自己を越え、そして自己をぬけだす能力である。
E 看護師は、自分の責任をはたさなかったと感ずるときに罪責感を体験するという良心の局面をもっている。
F 看護師という用語は、独自な人間としてではなく、ひとつのカテゴリーとかステレオタイプと知覚される。
G 看護師の職務とは、他の人々が看護師や看護について抱いている信念を、意図的に変えさせる。

病 気
1.病気の定義
「病気という用語はひとつの分類である。5) トラベルビーは、客観的および主観的な基準によって病気を定義した。」
@ 個人(患者・家族)が彼の病気をいかに知覚しているかを、その人とともに探り、その人の状態に彼が付け加えている意味を彼から引き出すものでなければ、保健医療従事者はその人の病気の知覚を前もって知る事は出来ないのである。
A 個人が病気であるか否かに関して診断や決定を下す事は、看護師の職務範囲ではない。
B 病気は自我への脅威だから医師に相談する時不安を体験している。(文化的信念・先入観・憶測をたずさえている)
C 確証された診断に対する反応をその人と共に探求し、そしてその人が自分の状態にあてがっている意味をその人から引き出すこと。
D 病気は性質・経過・予後によって病人の家族には脅威でありうる。


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苦 難
1.苦難の定義
「苦難を、強度・持続・深刻さの点でさまざまに変わる体験とみなす。苦難は不快感情であり、それは単なる過度的な心理的・身体的・精神的不快から、極度の苦悶そして、苦悶の彼方の緒相つまり絶望的な「無配慮」の悪性の位相・「無感動的無関心」の終末的位相までにわたっている。苦難は、連続したものとしておくことができる。」6)
1) 悪性の位相:絶望的「無配慮」
@ 援助もされず苦難がやむ事も無く、あまりにも長い間そして、あまりにも強く心理的・精神的に痛みを受ける時絶望的に満ちた「無配慮」が体験される。
A 援助されなければ、人は苦難の末期位相、つまり無感動的無関心に進行する。
2) 末期位相:無感動的無関心
@ この位相では、誰も自分を助ける事はできないし、助けないであろうと信じているため鈍感でびくともしないようにみえる。
A 専門看護師の役割は、病人が絶望的無配慮に進む以前に介入し援助を試みる事なのである。
B 絶望的無配慮はひとつの対人関係の緊急事態であって直接介入の行為が要求されるのである。

2.苦難と病気に対する反応
〈病気における苦難に対する反応はすべて、非常に個人的である。〉
@ 「どうして私に」という反応・・・起きた事柄に対して誰かにあるいは何事かに
責任を負わせたがる傾向である。苦難と病
気にたいするすべての反応のなかで、もっ
とも一般的なものである。
A 非 難 ・・・病気を引き起こしているとか、あるいは病気にさらされていると
いう理由で、自分自身や愛する人を非難するものである。
B 当 惑 ・・・この病気や苦難がなぜ自分に起きたかをなおも疑うものであり、
いつまでも続くものである。
C 抑うつ ・・・自己の内部に向けられた怒りである。
D 切 望 ・・・強く心のなかに思うこと。
E 自己憐憫・・・「私はみじめだ」という一般的態度。自分を惨めと感ずることは
ひとつの強い苦難である。自分はなんと弱い人間であるかと実
感することは、破綻的体験である。
F 受容反応・・・苦難や病気に対するすべての反応のうちでもっとも非凡な反応で
ある。受容の道は多くあるし、受容には多くのレベルがある。
どんな苦難に出会っても立ち向かえる人。肯定的な反応。楽天
的ではなく根気と静穏な諦観(あきらめ)により長い間の苦難
の重みに耐える事が出来る。自分は人間であり弱いものだとい
う信念、そして病気や苦難は人間の条件の本来備わった局面だ
という信念、いつも人生観にもっている人、そういう人によっ
て苦難と病気は拒絶されず受け入れられるのである。死や苦痛
や病気は自分にも起こるだろうと実感しており、また愛する人
も苦しんだり、死ぬであろうという事実も受容している。この
実感は自我に深く根づいた受容的信念であり、その人の思考� �
感情の行動が支配している。非常に謙虚で勇敢でかなり厳格な
人だけが自分も愛する人も同じように人間であり、苦しみかつ
死ぬであろう事実に直面できる。

痛 み
1.痛みの定義
「心理的、身体的痛み、あるいは苦悩は日常の人間体験。7) 痛みは病気のようにそのものを観察できず、その結果が記述されるだけであり漠然としたもの。痛みの体験を他人に伝えることは、困難である。看護師はその人が知覚している体験そのままのその人の言葉を受容しなければならない。」
@ 強い孤独体験
A 痛みの程度・強さを評価することも難しく、所詮憶測でしか評価できない
B 痛みは個人全体に影響するもの
C 病気からやがて回復するというちゃんとした保証を得ている人と、余生を痛みと共
に送らなければならないと思っている人とは、幾分違った痛みの反応をする

希 望
1.希望の定義
「希望とは、目的到達あるいは目標達成の欲望によって特徴づけられた精神状態であり、その目的とか目標は、欲望あるいは、探求することは得られるといったある程度の期待に結びついている。」8)
@ 希望をもっている人は、もし願望の対象が得られれば生活はある程度変わるだろう、すなわちもっと快適になるか、有意味になるか、あるいはたのしくなるだろうと、信じている。だが、たとえ希望をもっている人が自分の願望の対象を得たいと期待しても、その目標を得る確率はさまざまである。
A 希望は窮乏や苦悩のつど、その人の自我の外部からの助けが役にたつ、という知識から生じる。
B 希望をするという行為は、秘密のことでも孤独的なことでもない。
C 希望は、いつも他の人々の援助に期待することと、個人的体験からえた主観的知識とに関連をもつ。
D 希望は、他人への依存ということに強く関連している。
E 希望は未来志向的なものである。
F 希望は選択に関係をもっている。
G 希望は願望に関係をもっている。
H 希望は、信頼および忍耐と密接な関係をもっている。
I 希望は勇気に関係をもつ。
J 希望されることがらは、可能性の範囲内にあることなのである。

絶 望
1.絶望の定義
「絶望のひとには、希望がまったくない。」9)
@ 絶望のひとはどんな変化もとげられるということを信じていない為、問題解決の努力も、あるいは生活の困難に立ち向かうこともしない。
A 自分に役立つような二者択一を思い浮かべない。
B 問題に立ち向かう努力さえむなしいという強い感覚がしみとおっている。
C 絶望を体験している人は、悲しみの時に、他人が自分を助けてくれるだろうとは、けっして信じない。
D 絶望は現在に向けられているのであって、未来にではない
E 絶望を体験する為には、少なくとも人生の何らかの時期に希望を抱き、次にそれを失ったという体験がある。
F 病気の人の絶望は心理的、身体的、あるいは精神的にうけた苦難があまりにも強烈で、あまりにも長期にわたり、援助もされず苦難もやまないというときに
生じる。

2.看護婦の役割
@ 希望をもちつづけ絶望をさけるように病人を援助するのが、専門実務看護婦の職務である。逆にいえば、絶望を体験している人を再び希望をもつように援助するのもまた、専門実務看護婦の職務である。役立ち喜んで援助すること。
A 専門実務看護婦の役割は、たとえ求められていなくても、必要な援助をあたえること。患者のニードが予測できなければならない。
B 希望は選択に関係するから、可能であろうとなかろうと、看護師は病人にケアに関する選択をさせる。病人の人間は自分の好みを選んだり、のべたりできるし、そうでなければならない。
C 希望は信頼に関係しているから、看護師はこまったときに喜んで助けることができるのだということを、行動をもって示すよう試みなくてはならない。信頼は看護師がもたらさなければならない。
D 看護師は、希望を与えることはできないが、希望を体験するための手段・方法を与えようと努力しなくてはならない。しかし、われわれの知識は非常にせまい為、まず希望の本質を調べること、又希望の維持や絶望の克服のための援助法をみつけていかなくてはならない。
E 専門看護師は、援助を努力しなくてはいけない。いつも成功するとは限らないが援助し安楽にするよういつもこころみなくてはならない。

人間体験としての病気と苦難
@ 病気および苦難は体験である。
A 専門実務看護師は病気をひとつの人間体験として理解しなくてはならない。この理解なくして、看護師は、けっして人間対人間の関係を結ぶことはできない。この理解が必要だというのは、ただひとりの人が看護師だからではなく、看護師もいつの日か同じ体験に出会い、耐えなければならない、ひとりの人間だからである。
B 病気になったり苦難にあうことは、様々な具体的体験に出会う事であり、人はその出会いにおいて、出会ったことによって変えられる。
C 病気と苦難は、自分の体験を他人に表明、説明しがたいという意味では、孤独な体験である。
D 病気とは、体験を通じて、ひとつのタイプの知識とか理解を会得するという意味で、自分自身の一部になる。
E 人間体験として、病気と苦難の意味をつかもうとこころみることは、専門看護職の職務であるが容易なことではない。それは病気苦難の知覚を伝えるのに困難があったり、「病人の位置に自分をおくことできない」からである。看護師が自分自身とは違った世界にある種の洞察を真につかむには、病人から、その人の病気の知覚を引き出す事である。これらの体験をもつ人の書いた個人的な記録を読むことも有用である。

コミュニケーション

1.コミュニケーションという概念の定義
「コミュニケーションは、看護師が人間対人間の関係の確立をすることができるようにし、そのことによって看護の目的を実現させるプロセスである。」
@ コミュニケーションは看護場面において変化をもたらす道具であり、創造的なプロセスである。
A コミュニケーションは変動的で相互的なプロセスであり、思考と感情を共有したり、あるいは伝達するひとつのプロセスであるが、人びとは自分の共有するものが受け入れられるであろうと相互に確信しないかぎり、どんな意味深いことも他の人と共有しない。
B 看護師は目的に対する手段でなく、達成すべき目的に注意を集中させるために、必須なコミュニケーションの技能と能力を発展させなければならない。
C コミュニケーションには、書くとか話すとかの言語的コミュニケーションと、しぐさ・表情・身体運動、叫び声・うめき声・すすり泣きなどのような音声、触れたりにおいをかいだりすること、記号や象徴(絵・音楽・踊り・パントマイム)などの非言語的コミュニケーションがある。まず知覚され、解釈される。

2.相互作用における目標
〈相互作用で達成すべき目標は、持続的で不変のものである。〉
@ 相互作用で達成すべき目標
a 人(病人、あるいはケアの受け手)を知ること
b 病人の看護上のニードを確かめ満足させること
c 看護の目的を遂行すること
A 前提条件
a 作用でなしとげるべきものは何であるかということの理解
b 看護目的をなぜ達成するべきか、ということの理解
c 看護目的を達成するようなしかたでいかに相互作用をし、コミュニケーションをするかということの理解
コミュニケーションは、看護目的遂行のために、相互作用のプロセスの諸目標を達成するための手段にすぎない。このことを留意する。
B 目標を達成するために、コミュニケーションのプロセスを用いる方法
   a 「病人を知る」という目標
・ 誰かを知るためには、その人の独自性と出会い、その人の独自性を知覚しその人の独自性に反応し、その人の独自性を尊敬しなければならない。
・ 知ること、それは他人の独自性を体験しつつ、それに反応するプロセス。
・ あらゆる人間は個別的であり、その人独自の流儀で緊張にたいして反応をする。
・ 各人の習慣的なやり方、その人の示す行動を理解しないかぎり、有意味なしかたでその人を援助することなどできない。
   b 「病める人間の看護上のニードを確認し、満たす」という目標
・ 観察とコミュニケーションを通じて、看護師は病人のニードを確かめるのであり、そのことが、看護の介入を計画する際の最初の必要な段階である。


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3.観 察
〈観察は看護の介入にいたる第1段階〉
@ 観察の定義
観察とは解釈に先だって生の感覚的データを集めることをさしている。観察は目的をもったプロセスであると同時に、能動的なプロセス、有意味なプロセスである。
  A 観察の目的
観察の目的は多種多様であるが、それは常に観察される病気の人間であって、病気の兆候ではない。観察とは病気の個人を、ひとりの独自な人間として知るようになるために用いるプロセスである。生のデータを集めるために行う。
B データの収集
生のデータを解釈する前に、看護師が実際に何を見、そして何を聞いたかに気づき報告できるということが大切。
C 観察の一局面としての体験
体験するということは、人間対人間として反応し、他人のパーソナリティや独自性を、あるがままになるようにさせておくということである。
そこには、ありのままの人間に対面しているという感覚がある。
体験するということは、ひとりの人が他人に意識的に注意をむけたり、他人を知ろうと努力するときには、いつでも作用していることなのである。
D 決定および解釈
観察は、看護場面における決定のプロセスの一部分でもある。
a 観察
b 解釈の発展
c その人の解釈および推論にもとづいて、行為すべきか否かの決定
この決定ということは、看護場面では大変な含みをもっている。
下すべき決定は、安楽さの基準の選択から、病人にとって生か死かの違い
を意味するまでにわたっている。
      看護師は、自分の解釈と決定が正しいかどうか、できるだけその病人といっ
しょに解釈を照合する。
E 看護活動と評価
コミュニケーションのプロセスを通じて、ニードは確かめられるだけではなく、みたされるのである。
看護師は、自分の看護活動の質あるいは効果を、評価もしくは判断する。
可能なかぎり、判断の規準は評価の以前に実務看護師によって確立されている。
評価は、特定のケア目標の達成に集中する。

4.コミュニケーションの内容
@ 本書の主要な前提
看護場面でコミュニケーションが行われているかどうか、交換されたメッセージがすべての関与者に理解されてきたかどうかを、看護師は知っていなければならない。
     また、それぞれの参加者が、何をコミュニケーションしているのかについての理解を発展させることも重要である。
A 本書の主要な仮定
・看護師は、自分が相互作用をしているそれぞれの人と、有意味な対話をするよう努力すべきである。
・看護師とケアを受ける人との間に有意味な関係が確立するかどうかは、対人関係のプロセスで何が伝達されているのかということ、あるいはコミュニケーションの内容のいかんによる。
    ・看護師が病人に何を伝えるかということが、病気や苦難の長い間の孤独に立ち向かうときの病人の助けとなるか、さもなければ疎外感や孤立感を強め深めることになる。
・コミュニケーションの内容は、その病人の「いまここで(here and now)」の問題に方向づけられている。
・有意味な対話のための看護師の側の必要条件は、知識、病人の利益のために知識を用いる能力、感受性、対人関係の場面での鋭敏なタイミングの感覚である。

5.コミュニケーションの技能あるいは能力
@ 用語の定義
看護の技能:「自分の所有する知識を、有効に敏速に用いる能力」
能力:「獲得した熟練の実行における適切な才能」 (ウエブスター辞典による)
・ 熟練した人というのは、基礎知識をもち、知識を活動に翻訳ができる。
・ 体系的アプローチと治療的な自己利用とは、長いあいだかけて徐々に学ばれるのであり、ふつうそれは生涯をかけた目標であって、われわれは、それを目指して、これらの能力の統合に努力するのである。
・ コミュニケーションの技能は2つのカテゴリーにわかれる。
a 一般能力
・ 読む能力
・ 書くことで自己を表現する能力
・ 話すことで自己を表現する能力
・ 傾聴し解釈する能力
b 特殊能力
・ 観察しそして観察を解釈する能力
・ 目標実現のために、相互作用を指示したり指導する能力
・ コミュニケーションが行われているかどうかを確かめる能力、対人関係のプロセスでなにが伝達されているのかを理解する能力
・ しゃべる時と黙る時とを認識する能力
・ 待つ能力:他人のペースをつづけさせること
・ 相互作用における自分の参加を評価する能力

6.コミュニケーション技法
@ 自由に思い通りに答えられる意見あるいは質問の利用
A 復唱技法の利用
B 知覚共有の技法
C きまり文句の故意の利用
・コミュニケーション技法は、看護師−患者、その他の場面で、目的的に用いられる工夫あるいは方法である。
    ・これらの技法は、判断よろしきをえたやり方で用いられるときに、コミュニケーションを促進するのに価値を持ち有益なのである。
・看護師は、患者のコミュニケーションの意味を探り理解しうるようなコミュニケーション技法であれば、どんなものでも用いるべきである。
7.コミュニケーションの崩壊(失敗)
  メッセージが受けとられないとき、あるいはメッセージが誤って解釈されたり、誤って理解されたときに、コミュニケーションの崩壊がおこる。

1.定義

「人間対人間の関係は、看護師とその看護を受ける人とのあいだの、一つの体験あるいは一� ��の体験である。この体験の主要な特色は、個人(あるいは家族)の看護上のニードがみたされる、ということである。この関係は、専門実務看護師が目的的につくり、維持するものである。」10)
・人間対人間の関係の特徴は、看護師と病気の人とが看護師対患者というよりもむしろ、
独自な人間としてお互いに知覚しあい、関係を結ぶことである。看護師、患者では人間関係を確立できない。各個人が他人を一人の人間として知覚するときに関係は可能である。
・看護場面での人間対人間の関係は手段であり、その手段を通じて看護の目的は達成される。病気と痛みの体験を予防したり、それらに立ち向かうよう援助したり、これらの体験のなかに意味を見出そうと援助するという目的が達成されるのである。
・人間対人間 の関係は、看護師とそのほかの人たちと相互作用を営みながら、日々築きあげられるものである。
・人間対人間の関係は、看護師と看護を受ける人とが、先行する4つの相互関連的な位相を通り過ぎてから確立される。
@ 初期の出会いの位相
A 同一性の出現の位相
B 共感の位相
C 同感の位相                        
・これらの位相はすべて、最高度に発展して、ラポートと、人間対人間の関係の確立にいたる。
・「人間対人間の関係」 「関係性」 「ラポート」は、同義語とみなされている。

2.人間対人間の関係の確立にいたる諸相

@ 初期の出会いの位相
a 看護師は、はじめての人に出会うと、その人を観察し、推論を発展させ、価値判断をするが、ふつうその相手の人も看護師について同じようにしている。観察は最初の最も重要な段階である。
b この位相で形成された初期判断は、「第一印象」、「速断」あるいは他人についての「感じ」であり、それらは、対人関係における手がかりの知覚や言語的・非言語的コミュニケーションをきっかけとしている。
c 初期の出会いでは、人はその看護師を「看護師」とみ、看護師はその人を「一患者」とみる。そこでは独自性の認識は、ほとんどまったく欠けている。各人が他者を特定の独自な人間とみるときにだけ、打破される。個人が患者として知覚されるか、あるいはひとりの独自な人間として知覚されるかということが、非常に重要である。

A 同一性の出現
a 他人とのつながりを確立する能力のほかに、他人の独自性を認める能力が顕著である。看護師、病人の両者は、結びつきを確立しはじめ、相手をカテゴリーではなく、いっそう独自な人間としてみはじめる。
b この位相では、共感の位相で知覚されるほどの明確な独自性ではない。
○ 他人の独自性を知覚する能力の欠如
・「同一化過剰」:看護師が他人から自分自身を分離できないこと。
自分自身を見てしまい、病人の独自性が知覚できない。
○ 自分自身を「物差し」として用いる−人間には他人を判断し評価するため
の差しとして、自分自身を用いたがる強い傾向がある。
○ 羨望を抱くこと
・ 相互作用は、看護師と病人の両者に羨望を引き起こすかも知れない。
・ 看師は病人の独自性を知覚したり評価することができなくなることがある。
・ 他に対する興味の欠如、すなわち、自己を超越できず、情緒的に他人に出資できない。
○ 看護師の職務
・ 自分が他の人をどう知覚しているのかを覚知するようになること、と同時に、われわれが「患者」と呼ぶこの人間の独自性を認識できる範囲を、覚知するようになることである。
・ 共感の展開を助けるために、自分自身と相手とのあいだの同異を評価すること。
・ 看護師はある程度自分自身を超越しなければならない。

B 共感の位相
「共感とは、他の個人の一時的な心理状態にはいりこんだり、分有したりして理解をする能力である。」
a 相互理解というタイプの体験である。
b それは意識的なプロセスである。つまり人は、いつ共感が起こっているかを
知っている。
c 看護場面での共感は、連続的なプロセスではない。
d 共感の必要条件
・ 他人を共感する個人的能力は、人と人の間の類似性の程度とか、種類に
よってきまる。
・ 共感は類似性の上にたってのみ作用しうるのだから、看護師にすべての病人との共感を期待するのは、実情にそぐわない。
・ 看護師の豊かな個人的背景、経験が左右する。
・ 他人を理解したいという願望。
e 共感の諸特徴
・ 他人の行動を予測する能力という特徴がある。
・ 他人との共感は、他人を好きにならなくても、あるいは肯定的な感情を
持っていなくても可能である。
f 価値判断と共感
・ 人が他人の共感的知識を獲得しているあいだか、獲得している直後に価値判断がくだされる。
g 無判断の態度
・ 人に対し無判断的態度であることはできないに等しい。
・ 看護師は無判断的であろうと努力してはならない。自分がその病人について形成した判断に、気づくよう努力すべきである。
h 受容
・ 寛大さと類似している側面がある。
・ 他の人びとを許すこと、それが他人を受容することなのである。
・ 受容ができれば、次の同感の位相に移動することができる。


骨折を曲げる

少数民族と子供の肥満

C 同感の位相
・ 同感の能力は、共感のプロセスから生ずる。共感を越えた段階であり、同感には苦悩をやわらげたいという基礎的な衝動や願望がある。この願望は、共感には欠けており、同感の特に顕著な特徴である。
a 定義
・ 2人あるいはそれ以上の人たちのあいだにおきている体験である。
・ 人は他人の感情に参加し、同情を体験する。
・ 同感をしながら、同感の対象から距離をおくことは不可能。
・ 人は同感するとき、関与させられるわけだが、しかしその関与によって力を失うということではない。
b 看護場面での同感
・ 同感がうちに秘めているのは、他人の不幸や苦悩についての本当の関心であり、苦しむ人を援助したいという願いに結びついている。
・ 同感は、素質、態度、他の人に伝えられるようなタイプの思考、感情であり、深い個人的な関心や興味がこの思考や感情の特色である。
・ 同感というのは、温かみ、親切、短期型の同情、配慮的な特質であり、それらは感情の水準で体験され、他の人に伝えられたものである。
c 同感と共感との比較
・ 共感は、個人が他人の心理的状態を理解できるというプロセスであり、この理解のおかげで、他人の行動を予測できる。しかし、中立的なプロセスである。他人が体験しつつあることをただ理解するだけであり、その苦悩を救うために何かをしたいというような願望は伴わない。同感の前段階であり、同感を実現させるプロセスの1段階である。
・ 同感は、苦悩を救済するため他人に手を貸したい、という願望を内に秘めている。同感には、温かみとか、行為への衝動があるが、共感にはそれがない。同感的なひとは他人の苦悩を救おうとして行動をおこすので、同感は共感を越えて発展する。
d 同感の結果
・ 同感の体験の結果として、病人は看護師を信頼しはじめるが、完全な信頼はまだ欠けている。
・ 同感は、それぞれの人が他人にたいする結びつきを強める一時的な体験。
・ 看護師に対する病人の完全な安心は、その人が、看護師に頼ることができ、看護師が彼を忘れないだろうとわかるときに、体験される。

D ラポートの位相
  看護師と病人が、ラポートおよび人間対人間の関係の確立に先行する4つの互い
に結ばれた位相を通じて歩むときに、体験されるようなこと、それがラポートで
ある。
a 定義
   「看護師とケアを受ける人とが、同時に経験するプロセス、できごと、体験、あるいは一連の体験である。それは、一群の相互に関係のある思考や感情から成り立っており、これらの思考・感情・態度は、ある人から他の人に伝達される。」
b ラポートの必要条件
   治療的な自己利用につながる体験的アプローチを所有し、用いるような看護師によって実現される。単に一人の看護師が所有するところの何かであるにとどまらず、彼女が存在するということなのである。
c ラポートの特徴
・看護師と病人の両者は、「患者」にたいする看護師としてではなく、人間に対する人間として知覚しあい、関係を結ぶのである。
   ・看護プロセスのあらゆる位相を通じて、専門実務看護師が意識して努力するのは、病人を知るという目標を達成し、個々人の看護上のニードを確認し、みたすという方法で相互作用をし、コミュニケーションをすることである。
・ラポートの結果は、看護師と病人の両者が、この体験のおかげで人間として成長することである。
・ ラポートは静態的ではなくて、それは動的なプロセスであり、多様性の体験である

事例検討 T
S氏は50歳で建設会社社長、妻(48歳)と二人で暮しである。S氏は非インシュリン依存型糖尿病(以後糖尿病とする)、身長170cm、体重80kgで、タバコ(20本/日)とお酒(3合/日)が好きである。仕事上の関係で、朝の食事以外ほとんどが外食であり、野菜を食べる機会が少なく肉類が好物であった。

会社の生活習慣病検診で空腹時血糖値が350mg/dl以上と高く、会社近くのA病院で食前血糖薬の内服治療や食事・運動療法を受けていた。その結果、空腹時血糖値が130‾150mg/dl以下までコントロール出来ていた。しかし、仕事の過労から腰痛がひどく歩行困難となり牽引治療目的でB病院の整形外科病棟へ入院した。入院当初は腰痛のためベッド上で過ごすことが多くなっていた。安静と共に腰痛は軽減されてきたが、既往の糖尿病が悪� ��し、空腹時血糖値が350‾400 mg/dlと上昇した。食事療法(1200kcal/日)と内服治療が入院当初から行われていたが、血糖値は高いままであった。S氏は「せっかくA病院で治療を受け、自分なりに好きなお肉やお酒を減らす事で、血糖コントロールが図れていたのに…」と思っていた。しかしS氏には、以前血糖値が上昇した際に手持ちの、漢方薬や高麗人参、健康補助食品で血糖値が下がった経験があった。これらをまた飲むことで血糖値がさがるのではないかと、自分なりに解釈していた。その為、S氏のテーブルの上にはいつもこれらの健康補助食品が沢山並べられていた。また個人用冷蔵庫には烏龍茶などの飲み物や漬物、珍味が沢山入っており、いつもS氏の部屋は個室という事もあり部屋中に食物の匂いが漂っていた。S氏は「動けない事で血糖値が上がってい� � �だけで、また仕事したら血糖値も落ち着くと思う。でも、一生こいつ(糖尿病)と付き合うのは嫌だな…」と考えていた。ある日、M看護師がS氏のもとを訪問すると、S氏がキムチを冷蔵庫から出そうとしている所を発見した。M看護師が「間食はだめですよ!」と注意すると、S氏は「腰を見てもらっているのに、糖尿病について色々言われたくない。間食がいけないことぐらいは知っています」と激怒した。

T看護師はS氏とM看護師での2人の関係の中で、何が問題であったのか、その日のうちに知り、S氏の現在の不満や糖尿病への受け止め方など話し会う機会を持とうと試みた。S氏は「糖尿病は妻と以前にA病院で指導を受けてきたから良く知っている」「ここ(病院)の食事は味が無い」「間食したら いかんのは知ってい � �。先生には腰を治してもらって感謝していますけど、糖尿病について色々言われても・・・。自分も色々知識はある。A病院でも見てもらっていますし、運動したらまた血糖値は下がると思う、今は動けないから仕方ない。」などT看護師に胸の内を話した。この時のS氏の表情は強張り、かなり興奮して話していた。S氏は会話の中で「(間食は)今は動けないから仕方が無い」という言葉を述べていた。S氏は「動けるようになれば、血糖値は下がる。今は何をしても無理」と自分で決め付けていた。しかし、空腹時血糖値は依然350‾400 mg/dlであったため、糖尿病について関心を高めてもらうため、服薬指導や栄養相談を促した。そして、S氏の痛みの状況を見ながら、運動療法(歩行器で散歩)も試みた。この食事療法・運動療法・薬剤療法の必要性を、S氏と共に学び現在の治療の目的を一緒に考える中で、S氏が自分の中で大切に考えていた思いを話してくれた。それはS氏が高麗人参や健康補助食品を摂取していたのは、以前にこれらを取る事で、血糖値が下がった事があるという話であった。「Tさん、これはほんとに効くよ!これを続けてたらきっと下がるよ」とにこにこしながら話した。S氏の表情は穏やかで、その後T看護師に今までにまして自分の信念や思いを話す機会が多くなった。S氏の状況を一緒に考え、より良い方法を家族や医師と共に考えるこ� � �で、S氏の糖尿病に対する理解が深まった。

〜看護師と患者が人間対人間の関係を構築していくトラベルビーの4段階のプロセス〜
人間対人間の関係 M看護師とT看護師から検証

1.M看護師とS氏の関わり (人間関係が築けなかった例)
M看護師は、S氏に初めからマイナスの先入観をもち対応しており、糖尿病であるのに食事療法が守れない、わがままな人と思っていた。間食の瞬間を目撃し、いきなりS氏に「間食はだめですよ!」と、強い口調で言葉を浴びせました。
一方、S氏はせっかくA病院で治療受け、自分なりに好きな肉類やお酒を減らす事で、血糖コントロールが図れていたのに…とつらい思い(苦痛)を抱えている状態であった。S氏は、以前血糖値が上昇した際にA病院の薬と健康補助食品の併用で血糖値を下げた記憶があった。これらをまた飲むことで血糖値がさがると、自分で判断していた。S氏の思いを知らないM看護師は、この思いにまったく耳を傾ける事が出来ずにS氏も心を閉ざしてしまったと思われる� ��
看護の目的は、人間対人間の関係を確立する事をとおして達成される。看護師が最初からマイナスの先入観を持っていたため、患者本来の姿を見る事が出来ず、トラベルビーの言う「人間と人間」の関係を踏み出せず、患者の持つ真の苦痛やサインを見落としてしまったと思われる。この場合S氏が苦痛に感じている"辛い思い"を看護師が理解し「苦痛の中に意味を見出す援助」が必要であった。そしてより効果的に援助していくために、人間関係のプロセスを踏みながらお互いの信頼を深めていく事が必要であった。

2.T看護師とS氏の関わり (関係が築けた例)
糖尿病を持つ患者はたいてい治療の一環として食事制限が行われる。そしてこの制限が半永久的に継続することが求められる。食事はその人にとって日常生活� �基本であり、習慣とも言え、その習慣を変える事は患者にとってある意味"苦痛"である。
T看護師はS氏が"苦痛"と感じているであろう食事制限や、血糖値の上昇に対して彼自身がどのように知覚しているかを知りたいという思いからコミュニケーションをもっている。援助をより効果的なものにするためには、看護師と患者とが対人関係のプロセスを踏みながらお互い信頼を深めていく必要がある。患者側から信頼を得るためにも、看護師は患者を一人の人間として知覚し、関係を結ぶ事が大切である。トラベルビーは「各個人が他人を一人の人間として知覚するときに人間関係は可能となる」11)と述べている。 T看護師は"最初の出会い"でS氏を"苦痛"を持つ、一人の人間と知覚し関わったことで、S氏も看護師というカテゴリー� �打ち破り、"Tさん"と呼ぶようになり、自分を援助してくれる一人の人間と知覚する事が出来たと思われる。看護場面での人間対人間の関係は手段であり、その手段を通じて看護の目的は達成される。

S氏は血糖値が気になり、なんとかしたいという思いから、誰にも言えず自分の判断で、健康補助食品や漢方薬を服用していた。T看護師はS氏が病気や苦難からくる何らかの不安を抱えているのではないかという、疑問を抱き関った。M看護師とのやり取りの中でS氏が"激怒"した事をそのまま放置せず、タイミングを見計らいながら関わりを持った事がS氏に信頼を得るきっかけにつながったと思われる。このタイミングを見極める能力も専門看護師には必要であるとトラベルビーは述べている。S氏が入院生活で感じている不� �� ��治療に対する苦痛を、患者自身の中で"意味"や"価値""希望"を見出せるよう医療チームで連携し援助する関係の中で人間関係の確立に至ったと考える。トラベルビーは、「看護師は自分が病人のニードをみたす事が出来るかどうか、またはその人を他の医療従事者に委託すべきか決定し、委託する場合はその分野の人たちと密接な関係のもと看護活動を展開する必要がある」12)としている。 看護師は個人あるいは家族がニードの状態であるかどうか、注意深い観察と情報を解釈し、推論する能力が求められる。看護は一人の看護師が行うものではなく、チームとして一人の患者に関わることになる。看護師全員が患者、家族を支えていけるように、個々の看護者の対応の仕方やコミュニケーション技術に責任をもち、一人一人が人間� �し て成長していく事が、人間対人間の関係の確立が可能となるといえる。


事例検討 U
Tさんは27歳、父と二人暮しで家事手伝いをしていた。Tさんは解離性人格障害、薬物依存症で自殺未遂を犯して2回目の入院であった。前回の入院時はあまり看護師とかかわりを持たず退院し、家で気ままに生活を送っていた。普段から死ぬことばかりを考えて、多くの病院に通院し薬を集めていた。今回も睡眠剤を多量に服薬し、海で自殺を図ったが家族に発見され未遂におわった。


入院当初から夜間不眠傾向で、昼夜問わず読書して過ごしていた。個室であったためか、他の患者様とも交流がなく、看護師とも挨拶を交わすぐらいであり、家族の面会は姉が週1回来る程度であった。看護師間では、コミュニケーションが取りにくくかかわりずらい人と考えていた。

 ある日の日勤帯に、Y看護師がTさんの病室を� �問すると相も変わらず読書をしている。「夜眠れないみたいですね。」と話しかけると、本を読んだまま看護師の顔も見ず、「はい」と答えるだけだった。Y看護師は今夜、自分が深夜勤務であり、Tさんがおきていれば、時間をとって話をしてみようと思い、「また夜きます。」と伝え、退室した。深夜帯に、巡視のため訪室すると、Tさんは眠っておらず読書中だった。「どんな本をよんでいるの」とY看護師が声をかけると本から目を放し看護師のほうをまっすぐ見て作者と題名を答えた。その後しばらく、雑談ではあったがTさんが自ら話してくれて会話を持つことができた。それから、自殺のことや、Tさんの思いなど看護師の方から尋ねると話してくれるようになっていった。ある日、Tさんから「Yさん、話を聞いてもらえ � �せんか。」と話しかけがあった。Y看護師は、時間はゆっくりあることをTさんに伝え、話をきいた。

Tさん:「あんまりほかの人に言いたくないんだけど、私には自分じゃない色々人格がいて私を殺そうとしている人格が居るみたいで、自分が知らない間に、リストカット(自傷行為)をしている。寝て起きたら腕に傷があって服とか布団に血がついている。こんなドラマやマンガみたいな話、誰も信じないし私も信じたくないよ。自分がやってないことで家族に怒られたり、看護師さん達に"またこんなことして・・・"みたいな感じでみられたりするのって嫌じゃないですか、誰にも言えないし、信じてもらえないしだから死にたくなるんです。・・・」

Y看護師:「今まで大変だったんですね。ほかのスタッフに話しづら � �ったらよければ、私にいろいろ話してください。」と関わった。このことをきっかけに、TさんはY看護師だけに今まで隠していたいまの自分の状態や思いを自分から話せるようになった。Y看護師とラポートの形成がとれた事で、絶望的な「無感動的無関心」からTさんを助けることができ、他の病院に通院していたことも自分の意思でなく副人格によって通っていたことなど、Tさん自身が自分や自分の病気について理解したことで、いまの状況に立ち向かう意味を見出し退院した。

〜看護師と患者が人間対人間の関係を構築していくトラベルビーの4段階のプロセス〜

Y看護師とT氏の関係から検証

トラベルビーは「絶望的な無配慮は対人関係の非常事態であり、直接的で協力的な行為を必要とする。」13) と述べて� �� ��。普段から死ぬことばかりを考えて、多くの病院に通院し薬を集めており、今回も睡眠剤を多量に服用し、海で自殺を図ったが家族に発見され未遂にすんでいるが、これはTさんにとって緊急を要する事態であり、この状況に関わる意味は大きい。あまりにも長い間、心理的・身体的・精神的に苦しむとき、絶望的な無配慮が体験される。この終末の位相では生きる意志を失い、死ぬかもしれないので、直ちに援助が必要と考えられる。

Y看護師がTさんとあった「最初の出会い」でY看護師が「患者」と捉えず、一人の病をもつ個人として対応したことが、末期の位相からTさんを助けることが出来たと考える。トラベルビーは、「人間対人間の関係の特徴は、看護師と病気の人とが看護師対患者というよりもむしろ、独自な人 間� ��してお互いに知覚しあい、関係を結ぶことである。」 14) と述べている。

看護師、患者では人間関係を確立できず、各個人が他人を一人の人間として知覚するときに人間関係は可能となり「最初の出会いの関係」を形成することが出来たと考える。人間は自分自身を「物差し」として用いる傾向がある。この他人の独自性を知覚する能力が関係を形成する上で大切であり、その際自己を治療的に用いて問題を明確にすることでニードを満たすことにつながる。Tさんを自殺にまで追い込んだ背景を知るために自己をTさんに置き換えて考えてみることで、これはTさんの心の苦しみを感じ、病をもつ一人の人間として知覚することにつながった。

他人を共感する個人的能力は、人と人の間の類似性の程度とか、種類によってきまる。Y看護師がTさんの思いを否定せず、そのまま受 け止めたことで、ある日Tさんから「Yさん、話を聞いてもらえませんか。」と話しかけがあり、「−(中略)−、私には自分じゃない色々な人格がいて、私を殺そうとしている人格が居るみたいで、自分が知らない間に、リストカット(自傷行為)をしている。寝て起きたら腕に傷があって服とか布団に血がついている。こんなドラマやマンガみたいな話し、誰も信じないし私も信じたくないよ。−(中略)−」と思いを話す事ができた。このY看護師の他人を思う共感の能力がTさんを末期の絶望的位相から救うことが出来たと考える。この苦しみはTさんの直接的行為の必要な医療的・外科的緊急事態があるように、対人関係の緊急事態の存在であり、「絶望的無配慮は一つの対人関係の緊急事態であって、直接介入の行為が要求さ � ��る」13) のである。ここにY看護師が看護介入する事で、Tさんの「誰にも言えないし、信じてもらえない、だから死にたくなるんです。」という言葉を受けY看護師の他人を理解したいという願望から、Tさんの心のサインを感じ取る事が出来た。「共感は、他の個人の一時的な心理状態にはいりこんだり、分有したりして理解をする能力である。」この能力がトラベルビーの言う共感の理解である。この関係から同感へ人間関係が成立し、同感的なひとは他人の苦悩を救おうとして行動をおこすので、同感は共感を越えて発展する。同感がうちに秘めているのは、他人の不幸や苦悩についての本当の関心であり苦しむ人を援助したいという願いに結びついている。Tさんを思い「今まで大変だったですね。ほかのスタッフに話しづ� ��� �ったら、よければ私にいろいろ話してください」と伝えたことでTさんはY看護師を信頼しはじめTさんは今まで隠していた多重人格の事や胸のうちをY看護師に話せるようになった。

ラポートの特徴として「看護師と病人の両者は、患者にたいする看護師としてではなく、人間に対する人間として知覚しあい、関係を結ぶ」15)ということより看護師とTさんとが人間同士の信頼のもとに病気による苦難を共有するという体験がTさんの苦悩の緩和につながった。他の病院に通院していたことも自分の意思でなく副人格によって通っていたことなど、Tさん自身が自分の病気について理解したことで、いまの状況に立ち向かう意味を見出し退院した。

展開から看護理論への評価・グループで学んだこと

トラベルビーの看護理 � �は、ルビー・L・ウェズレイの理論のレベル分類をもちいると、中範囲理論に位置づけられる。そして、ペプロウ、オーランドに引き続き、対人関係について述べられている理論である。
 トラベルビーは、人間対人間関係のモデルを展開しており、看護の目的はこの人間対人間の関係を確立したときに達成されると考えている。
われわれは、トラベルビーの理論を用いS氏への看護介入を振り返る中で、看護師は相手が何かに苦しんでいる、何かの援助を求めていると知覚し、相手を知りたい、その苦しみを和らげたいと願い、治療的に自己利用ができてこそ看護の目的が達成されることを実感した。そして、トラベルビーの理論が、看護の対象を「患者」という用語で呼ぶことにさえこだわるほど、ひとりの人間の独自性を大� �にし、個人を尊重していくことを重視していることに深く共感できた。コミュニケーションを目的々に用い、「いまここで(here and now)」の問題や、看護上のニードに気づいていくことを大切にしているこの理論は、これからも看護を実践していく上で、広く活用できると考える。
しかし、トラベルビーの理論は、4つの位相から人間対人間の関係が確立される段階の中で、何をもってその段階に到達したと言えるのか、明確な測定尺度が記されていないため、本当にそれらの位相に達しているのか、あるいは次の位相へ進めずにいるのかを検証し立証することができないと思われる。
 また、S氏に対するM看護師とT看護師の知覚や介入の仕方が違っていたように、4つの位相に達し信頼関係が築けるかどうかは、看護師自身の人間性・資質にも大きく左右される。したがって、精神的・感情的緊急事態にある患者に対し、ひとりの看護師は緊急事態と感じ介 入し、もう一方の看護師は何もする必要はないと感じ放っておくという、正反対の対応をしてしまい得るということなのである。
 これらのことから、精神的・感情的側面への関わりに対しても、この尺度を用いれば介入の仕方が判断できるといったものが必要になってくると考えるが、看護師も患者もひとりの独自性を持つ人間であるため、そういった尺度の開発は困難であろうと考える。
 その他、理論全体をとおして2点ほど矛盾に感じることもあった。

 1点は、翻訳文の批評(論評)のなかで、彼女は「家族と家族のニーズは最小限しか扱っておらず、地域社会については全く扱っていない。」と述べられているように、トラベルビーは、看護の定義や看護の目的として「病気や苦難のなかに意味を見出すことがで� �るよう個人や家族、あるいは地域社会を援助すること」と強調しているが、家族や地域社会の援助については具体的に述べられていないということである。
 これは、対象が家族や地域社会であっても、それらを構成しているメンバーは、一人ひとり異なった個人であるという解釈をしてみると少し説明がつくように思われるが、やはり定義している以上は、それらについても述べる必要があり、家族や地域社会への援助まで具体的に展開されていると、さらに広く実践に活かせるものになっていたのではないかと考える。

 もう1点は、トラベルビーは「患者」という用語はひとつのステレオタイプであり、「実際に患者は存在しない。たしかに必要な援助ができるような、他人からのケア・サービス・援助を求めているところ の、個人としての人びとがいるだけである。」16)と述べ、看護の対象者を「患者」と呼ぶことや記述することを良しとしていない。しかし、「患者」と記述するかわりに「病人」としているところである。
 トラベルビーは、看護の対象を人間として知覚することを強調しており、それだけひとりの人間の独自性を大切にしているのであるが、看護の対象の呼び方が統一されていないと、読み手側(解釈する側)が混乱することも事実である。
 現在、看護の対象の呼び方として「患者」という用語が一般的である。私たちも「患者」という用語を使用しているが、常に対象はひとりの人間であり、独自性を持つ個人として意識していかねばならないと考える。
 トラベルビーの看護理論は、身体的ニードと同じくらい、感情� �・精神的ニードに応えていくことの重要性をわれわれに説いている。
医療を取り巻く状況がどんなに変化しようとも、看護が人間を対象とし、ケアしていくことを技とする職業である限り、この理論は看護にとって有用なものと信じて疑わない。
今後われわれも、自らが実践をとおし、この理論を発展させていけるよう努力していきたいと思う。


おわりに
今回、トラベルビーの看護理論を読み、看護実践にどう活かすことができるか検討する中で、グループメンバーのそれぞれがいくつかの学びを得た。
トラベルビーの看護理論は、これからも看護実践や看護教育をしていく場面で私たちの道標となり、自己の看護観を振り返る際のひとつの物差しとなるであろう。
この看護理論での学びを活かし、人との関わりの中で互いに成長していく、そんな関係を築いていける一人の人間としてあり続けたいと思う。

謝 辞
 看護論の講義をして頂き、またこの稿をまとめるにあたり、ご指導、ご高閲頂きました三重県立看護大学助教授 藤本幸三 先生に深く感謝いたします。


引用文献
1)J.トラベルビー著(長� ��川 浩ほか訳).人間対人間の看護.医学書院、P3 2001.
2)前掲1)P34.
3)前掲1)P45.
4)前掲1)P56.
5)前掲1)P74.
6)前掲1)P89.
7)前掲1)P104.
8)前掲1)P110.
9)前掲1)P117.
10)前掲1)P180.
11)前掲1)P181.
12)前掲1)P184.
13)前掲1)P273.
14)前掲1)P226.
15)前掲1)P226.
16)前掲1)P45.
参考文献
1.J.トラベルビー著(長谷川 浩ほか訳).人間対人間の看護.医学書院、2001.
2.Doona,M.E.著(長谷川 浩訳).対人関係に学ぶ看護−トラベルビ−看護論の展開−.
 医学書院,1999.
3.黒田 裕子 編著.やさしく学ぶ看護理論.日総研出版,1977.
4.ルビー・L・ウェズレイ(小田 正枝訳).看護理論とモデル.へるす出版,2000.
5.川野 雅資 編著.患者―看護婦関係とロールプレイング.日本看護協会出版会、
 2000.

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