2012年6月9日土曜日

胸水 - Wikipedia


胸水(きょうすい、英: pleural effusion)は、医学における症状、病態で、胸腔内に異常に多量の液体が貯留した状態ないしはその液体をいう。

液体の内容によっていくつかの分類がある。外見からの分類として

また胸水の性状によって2種類に分類される。

  • 漏出液(漏出性胸水):比重1.015以下、タンパク量3g/dl以下、LDH200u/L以下、糖60mg/dl以下、白血球1000/mm3以下
  • 滲出液(滲出性胸水):比重1.018以上、タンパク量3g/dl以上、LDH200u/L以上

ライト(Light)の診断基準として、

2012年6月5日火曜日

Apache Tomcat/6.0.28 - Error Report


Apache Tomcat/6.0.28 - Error report

type 例外レポート

メッセージ

説明 The server encountered an internal error () that prevented it from fulfilling this request.

例外

2012年6月4日月曜日

よく見られる足の問題 Common Foot Problems 翻訳 野上俊光 ほか


よく見られる足の問題 Common Foot Problems 翻訳 野上俊光 ほか
 

  

AAOS からの引用・要約です

バニオン(外反母趾に伴うもの) Bunions


 バニオンは、親趾関節の腫れたものです
 あなたがバニオン(外反母趾に伴う、中足骨と基節骨の間の滑液包炎)を持っていれば、あなたはそれが、足の親指関節が腫れて痛くなることと知っている事でしょう。関節の上の皮膚は、ふくらんで、しばしば非常な圧痛を感じるようになります。 バニオンは、家族性の素質として受け継がれたり、とくに認識できる原因がなくても発現したり、よく合わない靴によって生じたりします。

 治療の重要な部分は、足の形にかなった靴で、圧迫・圧力を生じないものをはくことです。 この方法で、多くの場合、痛みを軽くすることができます。重症な事例では、バニオンのために、何もすることができなくなります。いろいろなタイプの外科手術があり、痛みを軽くできたり、足の外見を改良できることもあります。外科手術は、通常、痛みを軽くするために行われ、美容目的のために行われるわけではありません。

2012年6月2日土曜日



はじめに
現在の医療は効率化や経済性、質の向上など様々な観点から、看護の標準化、IT化が進められている。看護業務の内容も様変わりしている部分も多くみられるが、時代が変わり世の中の多様な情勢が変遷しても、看護の本質は普遍的であると考える。
看護の本質とは「看護」として成り立たせている独自の性質である。ジョイス・トラベルビーは看護を人間関係の立場から捉え、この関係が成立した上で、治療的側面を担う実践活動が行えると述べている。
私たちは自らの事例を振り返り、この理論と照らし合わせて考えることで、人間関係の確立のプロセス、看護の本質について多くのことを学び、再認識することができたのでここに報告する。

ジョイス・トラベルビーの経歴
1926年  誕生
1946年  ニューオリンズにある慈善病院の看護学校卒業
1952年  看護学士号を目指す一方、ニューオリンズにあるデポー病院の付属学校で
       精神科看護を教える
      (慈善病院看護学校、ルイジアナ州立大学、ニューヨーク大学、ミシシッピ大学でも精神科看護を教える)
1956年  ルイジアナ州立大学で看護学士号取得
1959年  エール大学で看護学修士号取得
1963年  看護雑誌に記事を投稿し始める
1966年  「看護の人間関係的側面」発行
1969年  「精神科看護における介入」発行
1970年  ニューオリンズのホテルデュー看護学校でプロジェクトディレクターの称号を得る
1971年  「看護の人間関係的側面」改訂版 発行
1973年  フロリダで博士課 程の学業中、不慮の死を迎える

看護の原点
トラベルビーの理論は、彼女自身の看護教育での経験と、カソリック慈善施設での看護実践において、彼女が患者に対する看護師の役割の在り方に興味を抱いたことに始まる。トラベルビー自身の経験から生まれた理論は、エール大学で卒業研究した際の指導者、アイダ・ジーン・オーランドの影響を受け発展していった。オーランドは、「看護師は患者の苦痛を未然に防いだり、軽減できるようにする責任がある。」と述べており、また看護師と患者はお互いに影響しあう関係にあると言っている。 オーランドとトラベルビーの理論の類似性は看護師と患者はお互いに影響しあうという点である。
トラベルビーはこの考えから「個人や家族、地域社会から、病気や痛みの体験を予� �し、
病気や痛みの体験においては、その体験に立ち向かえるように個人や家族を援助することである。」ということを看護の目的として示し、その為には「対人関係のプロセスが重要である。」と主張している。又、トラベルビーは、アウシュビッツやナチの強制収容所からの生還者ビクター・フランクルをはじめ、ロロ・メイやK・ヤスパースの人間の自由性と責任を強調し、人生を「意味」と「価値」をもつことによって満たされるもの、と説く実存主義思想の影響を受けている。とくにビクター・フランクルが提唱した「人々が疾病や苦難の中に意味を見いだせるように援助する」というロゴセラピーの概念はトラベルビーの人間や患者、病気のとらえ方に始まり、理論全体を通して感じ取ることができる。こうしてみると、トラ ベルビーの看護理論は、トラベルビー自身の看護経験から生じた疑問に、看護師―患者関係論や実在主義思想が深く結びついて発展したものと言える。
(ロゴセラピーとは人間の"精神または人間存在の意味と訳され、ビクター・フランクルが精神的に苦しんでいる人々のために、人生の意味を重視して提唱した治療法)

メタパラダイムの4概念
人 間
1.人間は、独自的でとりかえのきかない個体、つまり過去に生きていた人々、あるいはこれから生きるであろう人々と似てはいるが、同じではありえないこの世界における一度だけの存在者。
2.人間は、成長、発展、変化など連続したプロセスに存在する独自的で代わりのない個人。
3.看護師も患者もひとりの人間である。
4.患者という用語は、ひとつ� �ステレオタイプである。実際には、患者は存在しない。
 必要な、他人からのケア・サービス・援助をもとめている個人。
5.看護師という用語は、独自な人間としてではなく、ひとつのカテゴリーとかステレオタイ プと知覚される。看護師はすべての人々の人間条件を、共通にわかちもっている一人の人間。一群の専門家した知識と、病気の予防・健康の回復・病気における意味の発見・最高の健康維持などのために、その知識を活用する能力をもっている。
      *ステレオタイプ:固定的型にはめたものを意味する
健 康
1.主観的および客観的健康基準によって定義した。
2.主観的健康状態は、肉体―感情―精神面の状態の自己評価に応じて個々に一致する
もの
3.客観的健康は、肉体の検査、研究室でのテスト、精神科ディレクターまたは心理カウンセ ラーの評価などにより認知できる病気、機能障害、欠陥などが無いこと。

環 境
1.トラベルビーは学説においては環境を明白には定義していない。
2.彼女は、希望、病気、苦難、苦痛、など、すべての人間が遭遇する人間の状態、人生
経験をきちんと定義して、これらの状態が環境とみなされるとしている。
看 護
1.看護師−患者 対人関係のプロセス。
2.専門的な看護実践者が、個人・家族あるいは地域社会を援助するため。
@病気や苦痛の体験を予防
A病気や苦痛に立ち向かえるように援助
B病気や苦痛の体験の中に意味を見出せるように援助
3.看護の目的は、人間対人間の関係を確立することをとおして達成される。
4.看護は、援助を受ける人のなかに、変化を起こさせうるという目的のために着手されているサービス。

定義・概念のまとめ

看 護
1. 看護の定義(看護の目的)
「看護とは、対人関係のプロセスであり、それによって専門実務看護師は病気や苦難の体験を予防したりあるいはそれに立ち向かうように、そして必要なときにはいつでも、それらの体験のなかに意味をみつけだすように、個人や家族、あるいは地域社会を援助するのである。」1)
@ 看護は常に直接的か間接的に人びとと関係をもっている:対人関係のプロセス
A 看護は、援助を受ける人のなかに、変化を起こさせうるという明白な目的のために着手されているサービスである。
B 看護師のサービスを必要とする個人あるいは家族を援助する。
C 看護師は常に、病気に関心をもち、また健康にも関心を持っている。
D 看護活動は看護師が目的を持ち、進歩した思慮深い方法で、変化を確認し、かつ変化を生じさせうることである。
E 看護の目的は、人間対人間の関係を確立することをとおして達成される。
F 病人に近づく手段を無限に持っている。

人 間
1.人間の定義
「独自的でとりかえのきかない個体、つまり、過去に生きていた人びと、あるいはこれから生きるであろう人びとと、似てはいるが同じではありえない、この世界における一度だけの存在者。」2)
@ 人間は生物有機体である。有限であり、無限な個体である。
A 人間は、たえず選択と葛藤に直面させられている矛盾の創造物である。選択という行為に責任をもち、また、葛藤に立ち向かい、耐えることなのである。
B 人間とは考える有機体である。
C 人間は他人を理解する能力をもっているが、他人を完全に理解することのできない個体である。
D 人間は自己実現をめざす存在であるが、自己の中の孤立、不安などから逃避する存在。
E 人間はいつか自分が死ぬであろう、ということを知っている個体である。
2. 人間の能力
@ 人間はつねに、生成、進化、変化のプロセスのなかにある。現在に生きながらも、過去をおもいおこし、未来を予想する能力は、明らかに人間に独特のものである。
A 人間は、体験を蘇らせる際に歪曲する傾向がある。
B 未来を予想することは、人が現在の困難に耐える事を可能とする動機づけの力となる。
3. 人間の独自性
@ 各人に完全な独自性であり、二人として同一の人間はいない。
A 人間とは類似点より以上に相違点を持っているものである。
4. 人間体験の共通性
@ 人はすべて、その生涯のある時期、病気や痛み(心的、肉体的、精神的悩み)に直面するものであるし、究極的には死に直面するものである。
5. 人間の価値
@ あらゆる人間は価値を有する。
A あらゆる人々は、その人の人間らしさの本性によって価値をもつ。

患 者
1.患者の定義
「患者という用語は、ひとつのステレオタイプ、ひとつのカテゴリーである。実際には、患者は存在しない。」3)
@ 健康上の問題の解決の手助けをしてもらえるような、他人の援助をもとめている。
A 個人が「患者」として知覚されるか、独自な人間として知覚されるかということは、非常に重大事である。
B 個人が「看護師」「患者」の役割を身にまとうと、2人の間には壁ができる。
C 個人をステレオタイプでみることをさけるための唯一の方法として、病人をひとりの独自な人間として知覚することである。
D 「患者」対「看護師」のかかわりに、人間対人間として知覚し関係を結ぶためには、「看護師」の役割を超越することがひつようである。
E ひとりの個人をひとつの病気として知覚することは、その人の人間性を無視することである。
F 実務につき始めの看護師は、各患者の人間らしさを高度に知覚し、それに反応する能力を所有しているが、時がたつにつれ知覚は変わり、カテゴリーへの分類やステレオタイプをもちはじめ、人間を独自な個人としてでなく「すべての患者」の擬人化として知覚する。
G 「患者」として知覚されたときの人間への影響は、脅迫の知覚、脅迫に立ち向かうために、その人が用いる習慣的技術(怒り・悲しみ・抑うつ・無力・無感動・・・)である。

看護師
1.看護師の定義
「看護師は、すべての人々の人間条件を、共通にわかちもっている一人の人間である。」4)
@ 一群の専門化した知識と、病気の予防・健康の回復・病気における意味の発見・最高の健康維持などのために、その知識を活用する能力を持っている。
A 看護活動に対して、法的な責任を背負っている。
B 看護師は他人の傷つきやすさに遭遇しながら、いやおうなく自分自身の傷つきやすさに気づき変化させられる。
C 人間的な傷つきやすさの未解決な危機の帰結は、無関心や超脱をよそおって感情をおこさせる個人や場面から逃避することと、重要性を否定することによって自分の感情を操作することで気づきやすさを和らげている。
D 看護における超越の意味するところは、病める人、苦難の人、臨終にある人の人間らしさを知覚し、それに反応するために自己を越え、そして自己をぬけだす能力である。
E 看護師は、自分の責任をはたさなかったと感ずるときに罪責感を体験するという良心の局面をもっている。
F 看護師という用語は、独自な人間としてではなく、ひとつのカテゴリーとかステレオタイプと知覚される。
G 看護師の職務とは、他の人々が看護師や看護について抱いている信念を、意図的に変えさせる。

病 気
1.病気の定義
「病気という用語はひとつの分類である。5) トラベルビーは、客観的および主観的な基準によって病気を定義した。」
@ 個人(患者・家族)が彼の病気をいかに知覚しているかを、その人とともに探り、その人の状態に彼が付け加えている意味を彼から引き出すものでなければ、保健医療従事者はその人の病気の知覚を前もって知る事は出来ないのである。
A 個人が病気であるか否かに関して診断や決定を下す事は、看護師の職務範囲ではない。
B 病気は自我への脅威だから医師に相談する時不安を体験している。(文化的信念・先入観・憶測をたずさえている)
C 確証された診断に対する反応をその人と共に探求し、そしてその人が自分の状態にあてがっている意味をその人から引き出すこと。
D 病気は性質・経過・予後によって病人の家族には脅威でありうる。